コラム:なき王女のためのパヴァーヌと近代絵画の成立

『侍女たち』(Las Meninas 1656:ベラスケス )
『侍女たち』(Las Meninas 1656:ベラスケス )

3/1のおんがくカフェ「ラヴェル特集」で演奏予定のラヴェル作曲『なき王女のためのパヴァーヌ』の元ネタとなった絵画についてお話しましょう。ラヴェルはこの絵にインスパイアされて『〜パヴァーヌ』を作曲したそうです。17世紀スペインの宮廷画家であったベラスケスによる作品です。

この絵の中心となる白いドレスのモデルは、当時のスペイン国王フェリペ4世の娘・マルガリータ姫です。この絵が描かれたときの年齢は5才ころとされます。

一見、単純にお城の中のお姫さまを描いただけの絵に見えます。ところが、この絵画の構図は近代絵画としての特質が初めて美術史に現れた重要な絵画なのです。どういうことかといいますと、この絵に描かれている人物すべての目線に秘密があります。

絵の主役であるマリガリータ姫をはじめ侍女たちや後背の家臣たちらしき人物、左側にいるのはこの絵を描いている画家、つまりベラスケス自身。すべての人物の目線はこの絵を見ている人の方を向いてます。

さらに後ろに飾ってある鏡には男女の貴人が写っています。もちろんこの鏡に映る男女はマルガリータ姫の両親であるフェリペ4世夫妻です。国王フェリペ4世とその妻は娘を見る位置に立っていて、その姿が後ろの鏡に映っているのです。この絵を見る私たち観客は、国王夫妻と同じ位置からマルガリータ姫を見ていることになります。

近代以前の宮廷画でしたら、このような構図はあり得ません。マルガリータ姫が主役ではあっても、その主役が貴人であることを示すため、国王は横に立っているとかして絵の中にかかれているはずで、後ろの鏡に小さく不明瞭に描くなど絵として不完全なのです。絵の主人公のモデルが貴婦人であることを保証する国王陛下ははっきりと描かれねばならず、絵を見物する私たち不特定多数の人物と同じ立場であるということは不自然なのです。

マルガリータ姫は15才で神聖ローマ帝国皇帝のレオポルド1世とご結婚されます。この絵はレオポルド1世へのお見合い用の絵として描かれたものだそうです。ですから花嫁の身分を象徴する絵画でもあります。そのような身分証明のための絵なのに、身分を証明してくれるスペイン国王であり実の親が、遠くの鏡に写ったおぼろげな姿で、絵を見る不特定多数の者たちの視線と同化しているのはどういうことか?。

つまりこの絵を真っ先に見せなければならない最重要な観客であるレオポルド1世は、マルガリータ姫の立場などは問題にしていないということを意味しています。これはつまり、絵に描かれたモデル自体が主人公なのであり、画家も絵自体を説明書としてよりも作品として描いたということを意味します。

国王夫妻もレオポルド1世も姫の身分の説明を求めておらず、身分を超越した不特定多数と同じ視点に同化している。というより国王も貴人たちもすでに、人物の絵を観賞する不特定多数と化していることを、この絵画の登場人物たちの目線は示しているのです。

これは当時としては大変なことです。いまでこそ画家は絵画という「作品」を作る職業とされていますが、これは私たちが近代以降の発想に慣れているからそう思うだけです。17世紀当時は違いました。絵は図像として何かを明確に説明するための説明書のようなもので、作り手の個性だの唯一な創造物だのである必要などありませんでした。また画家たち自身もそんなことを考えてすらいませんでした。

それが、この絵では絵そのものが説明という役割を離れ、絵自体が「説明」から独立し、不特定多数の観客にじかに訴える「作品」として現れてきているのです。その初まりの絵としてベラスケスの『侍女たち』は近代の始まりを告げる美術史上の重要絵画として現在、私たちに「芸術」のあらわすものとは何かを訴えかけます。

ちなみにこの絵のモデルにして主役のマルガリータ姫は嫁ぎ先で二児をもうけたのち、悲しいことに22才で病死します。ラヴェルが作曲した『なき王女のためのパヴァーヌ』は、そこはかとなく悲しげな旋律で、若くして亡くなった姫を偲ばせるような曲ではあります。しかしラヴェル自身によると宮廷内で踊る幼い貴婦人とその過ぎ去った時代に思いを馳せて作曲しただけとのことです。「なき王女」とは過ぎ去った時代の王女という意味の方が題意に近いようです。パヴァーヌとは絵が描かれた17世紀に宮廷で踊られた優雅な旋律とリズムのダンス音楽です。

3/1のおんがくカフェでは、西洋絵画とラヴェルについてもマスターがおしゃべりする予定です。片桐由希子さんのピアノと共にぜひお楽しみください。

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